
インフェニタップゲームズが開発したサイコロジカルホラーゲーム。
製作者が強迫性障害とうつ病を患っており、その時の体感がこの作品に再現されている。精神的に、感情的、心理的状態に起因する恐怖で視聴者(プレイヤー)を脅かしていくまたは、不安にさせていく。
延々と深い闇の中を彷徨い続けるというのは、以前プレイした返校というゲームと同じだ。

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台湾のインディーゲーム「返校」。果てしなく彷徨う少女の物語。【プレイ日記と感想など】
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しかし、断片的に得られる情報の差が激しく、ところ所にあるアーカイブによって彼女の悲劇やこの学校で何があったかと判明するわけだが、「ネバーエンディングナイトメア」はひどく難解だ。

アメリカの絵本作家「エドワード・ゴーリー」の作品からインスパイアを受けており、この作品は画像のようにモノクロームで描かれた残酷で冷酷な作風がプレイヤーの心境をより不安にさせる。
また、製作者のMattが好きなゲームに「サイレントヒル」を挙げている。視界の悪く、時折出てくるクリーチャーなど日本のゲームから得られたものだろうか?

本当にただシンプルにパジャマ姿の主人公「トーマス」を部屋から部屋へ移動する、それだけであり謎解きで突破するギミックはほぼ無い。

トーマスが彷徨って辿り着いた先には墓地であり、ガビィと呼ぶ先ほど出てきた血に染まった少女の墓で崩れ落ちる。初期プレイだと、トーマスが刺殺したのだと思うのだが、目覚めると彼女の立ち位置が変わっており、妹なのか妻なのか、はたまたカウンセラーの人なのか?

幼少期のトーマスと家族の写真。妹だけど連れ子だったりと複雑な家庭だったのか、情報が起きた時のガビィとの会話くらいしか察するポイントが少ない。

時折出てくるクリーチャー。トロールのような大きな体で掴まれた瞬間にゲームオーバー。恐ろしい怪物だが、Youtubeで名越康文先生という精神科医の方が、ゲーム散歩でこの作品を実況していたのだが、
https://www.youtube-nocookie.com/embed/oKlhgGcVTRE
この怪物はオシメをしていて、彼らの赤ん坊への罪悪感から生まれたものではないかと推測される。

二番目に登場する、手が縛られた(?)、目から血を流している怪物。これも自らが生み出した何かしらの罪が形となって現れたものとある。

そして、最後らへんには血だらけの斧を持ったトーマスが襲い掛かってくる。手足や首にまで切り傷があり、自傷行為が疑われる。そして、目から血が流れているのは、現実から目を背けている彼の心境を表しているものなのか。

どのルートを選択してもエンディングは、悪夢だらけ。タイトルの名に相応しい永遠の悪夢を見続けるという救いようがない結末である。漫画版もそんな感じで、先にプレイした「返校」はドラマ版において加筆され、主人公が救われる結末となっているがこちらは先がわからない。

何故か、手をミンチにする行為。プレイヤーからも唐突すぎてなぜ急にこんなことしたかがよくわからない。この手をこうでもしないと何かよくないことが起こる。

こうして、自らの手をつぶそうとしていく。名越先生からトーマスは妹のガビィと近親相姦したのではと推測されている。妻として妹として描写されていたのが、それを示唆させるためのものかもしれないが、それがなぜここまでしなきゃいけないのか。
ホラーゲームとして、恐怖や驚かされるポイントは多数あるが、これもまたワーワーキャーキャーとパニックを楽しむものとは違う。深刻なほどのうつ病などにはかかったことはないが、このご時世何かにより苦しめられ、希望が持てず、人にも頼れない排他的な行動を起こすという誰にでも起こり得るもの。
このゲームをプレイして精神が病む、不安になるというのは一種の鏡合わせでシンパシーをどこかに感じるなら「向かい合わなくてはならない」ということだろう。極端だが、元気で悩みが無い人には絶対共感できないような世界だが、このような精神に語りかける訴えるようなゲームは貴重なんだなと、ある程度年齢を重ねた人にはわかり得る世界だと思う。

このゲーム内の唯一の癒しのクマちゃん。クマのぬいぐるみは、無意識に包容力を求めているという心理。疲れた時に頼れる人、いざというときに守ってもらえる人などぬいぐるみに移行対象として幼少期に触れ、それが大人になっても所持するのは安心感を感じたいというものだが、ガビィが劇中に持っていたとされると彼女もまた父性を求めていて、兄をどういう目で見ていたかは定かじゃないがこういったアイテムから推測される情報は深みがあって、面白い。
先のくだりで「ぬいぐるみ」を所持するというのは安堵感を得るわけだが、それが甘えている、依存しているなど所持者を不可解な存在として観られることもある。
いい歳した大人の男性が、可愛いぬいぐるみを持っていたなど「気持ち悪い」では無いだろうか?
もし、それが「いや!そうでもないよ?」と受け入れられているなら、ジェンダーレスと唱えている方々の動きが、数年前から感じている男性はこうであれ、女性はこうであれという理想、偶像の押し付けが解けれかけてきている。
この作品に出てくるトーマスの家系がとても厳しく、お父さんが軍人さんだったのか躾に対してはもちろん、世間体も大きく気にするタイプだったのでは無いかと、それゆえに子供の間違いに対して適切な叱り方も出来ずに、ただただ「脅して」いくように口答えなんてさせない「俺の言うことだけを聞いていけばいい」と、圧力をかける・・・というバイアス掛かった妄想だが、

お父さんとマトモに接することが出来た、母親からしっかりと愛情を教えられたなどあったなら、こんなに自分を傷つけて「ガビィ」に対して苛まれることもなかった・・・かもしれない。

ひと昔、たとえば学生時代にこのゲームが登場していたとしたらプレイしただろうか?
幻想的な世界観に惚れ、今で言うなら異世界転生もの(異世界流浪の方が正しいか)など、剣と魔法の世界ばかりだった。ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーなど日本を代表するRPGで、おそらくだがこの前プレイした、
ジ・アート・オブ Ghost of Tsushima (G-NOVELS)
ゴーストオブツシマなどは、絶対にやっていないと思う。歴史に全然興味がなく、和製RPGの女神転生ですら手をつけていなかった。年齢を重ねるに到って興味の幅が広がって様々なことを体験するようになったが、あの頃に「ネバーエンディングナイトメア」は絶対やらないし、やっても何これすぐ終わるんだけど意味不明!で友達におそらく「つまんねーゲーム」と言っていたかもしれない。
ましてや海外のよく知らん人のゲームだから尚更だ、下手すれば国で判断する恐れだってある。嫌いな国のゲームとかやる意味わからん!など、あったかもしれない。
しかし、そんなつまらん理由で知る機会を放棄などしちゃいけない。それは、結局ぬいぐるみで出た屈服した男女の理想像の押し付けする輩と何も変わらないし、ひたすら他者を蔑むだけの人生になるんだなという絶望しかない。製作者がそういうことを訴えたい!と言うのと、話は全然違うかもだけど、ぬいぐるみに求めていたように「わたし自身が」、このゲームをプレイする心境というものを俯瞰して見るというのも「鏡合わせ」としていいかもしれない。
少なくとも、精神がかなり参ってる状態でプレイするゲームじゃないので。(そもそも、病んでる状態でゲームなど、手足が麻痺した状態で泥濘み浸かってるような、どうしようもない時なのでやらない方がいい。)

考えれる余裕あるから、コンシューマのRPGだとかやれるんだろうなぁ。頭でもう考えたくないって人はソシャゲやパチスロ三昧で「ただ遊ぶ」に興じるのかなと、プレステやswitchなど一切やらずに、そっちばかりで過ごしている友人見て、「余裕ある人生」に見えたものが急に幸先見えない自分で打破する力もなく、歳を重ねていくんだなぁと見方が変わった。。。。って、偏見ですねこりゃ。